奈良・三重・和歌山の旅(2010/8/6〜8)
〜高野山-帰路〜
INDEX(クリックするとジャンプします) 3日目 | |
高野山 / 参道 / 金剛峯寺 / 根本大塔/ 昼飯 / 鍋谷峠 |
高野山 |
最終日、6時30分起床。今日も暑くなりそうです。 前の日、夕方に高野山に着いたので十分回れなかったので、今日はまったりと散策することにします。高野山は世界遺産に登録されているだけあってかなり観光地的な要素が濃くなってきているような気がしました。詳細案内はここにありますけど、やはり観光・・・ですね |
高野山摩尼塔 |
ここに立ち寄ってみましょう。 ここは高野山摩尼塔といって宗教美術館のようです。 ビルマ(ミャンマー)戦没者供養塔にもなっているようです。「ビルマの竪琴」がありました。 |
東南アジア系のモノが多く展示されていました。どれも仏教に関わりのあるものかもしれません。 |
なんかここには上のような不思議な絵が20ほどありました。 絵の横にはその絵の意図が説明されているのですが、それも意味深な感じです。例えば 「それは将来法を守らぬ愚かな王が出て、貧欲な裁判官を法廷に立てるであろう。裁判官達は、原告と被告の両方から賄賂をとっていい加減な判決を下すことになるだろう、という意味。」など、全体に戒め的な皮肉った内容が多かった。これは一体なんだろう・・・・(-.-) |
これはバックがLEDイルミネーションで光っていた。最近の仏もイルミネーションなんですね。(-.-) |
寺が多い中、神社っぽいのがあった。 |
なんとも静かなところである。 |
【参道】 |
←グリコ、Panasonic、SONY、SHARP、日産、トヨタといった企業の社墓も多くあり、「名刺入れ」のようなものもあったけど、これっていつ回収されるのだろうか? |
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他にもUCCであればこんなコーヒーカップのオブジェがある。 |
KOMATSUであれば本当に「小松」が植えられていた。 |
「新明和工業(株)」のもの。 これでも墓なのか? |
この場所では「XX家」ではなく上記のような「倶曾一處(くえいっしょ)」と書かれている墓をちらほら見かける。これは仏教用語で「皆一つ所で会うことができる」という意味らしい。このとき、近くで説明していた人によると最近では家系や家族がややこしくなってきてこれまでの「家系」に対する考えが変わってきており、家系や家族にとらわれない弔い方が多くなってきているという。それだけ墓に対する自由度が高くなってきているということだが、これも時代背景とか世情を反映しているものかもしれない。 老人ホーム所有のものや共同墓地として設営しているところはこのような表記になっていました。なるほど、これなら、後世子どもに墓について面倒を見てもらわなくてもいいので気楽ですね。これは(・∀・)イイ! |
奥之院近くの「弥勒石」 御廟橋(みみょうのはし)を渡って、しばらく進むと左に弥勒石の祠(ほこら)があります。中には黒い石が置かれていて、弥勒石と呼ばれています。なんでも弥勒菩薩の浄土である兜率天(とそつてん)から蓮の糸に吊られて降りてきた石なのだそうです。 弥勒石は何かしらズッシリと重く感じます。祠の四面は格子となっており、その中の一面だけに片手のみが入るように造られていて、弥勒石に触れたり持ち上げたりすることができます。 最近では、勒石に触るだけではなく、祠の中が上下二段になっていることから、下の段から上の段へと片手で信仰的な解釈としては、上段へと片手で上げることが出来れば願いがかなうとか、罪の軽い者は簡単に上がり、逆に罪の重い者は上がらないともいわれています。しかし本来は、弥勒石に触れることによって、弥勒菩薩を勝縁を結ぶというのが本当のところのようです。 σ(^^)も持ってみましたけど、そこそこ力がある人であれば持ち上がります。確かに密度が高い石だと思いました。カンラン石(3.2)あるいは磁鉄鉱(5.2)かもしれません。 |
この先は写真撮影は禁止なので写真はありませんが、観光的なHPにはその辺の様子が説明され ています。 入ってみると「いらっしゃーい」的な感じがしました。当然ぞんなこと言っていませんけど・・・というのも坊主の格好をしたひとが奉納・祈祷の受付窓口にいたり、参拝客を誘導したりしていたのでした。まあ、それはそれで仕方がないことなんですが、右にあるようなパンフレットを見ると金儲け(坊主の給料?)のにおいがプンプンしますね。石灯籠が\300万だって・・・ 単なる灯籠でも\100万だって、かなり吊してあったと思う。 |
水掛仏?水をかけて願をかけていた |
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別の参道もあるようで、ここから観光客の団体が来ていたようです。 |
公園墓地になっていて中は結構広いです |
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【金剛峰寺】 |
そういえば、まだ肝心な「金剛峰寺」に行ってませんでした。 たいてい由緒ある昔の寺は割と質素な感じかなって思っていました。 参道が思ったより距離があって時間もかかって小腹が空いたので、ちょっと「みろく石本舗」に立ち寄る |
ここはお饅頭屋でしょうか。買って中でも食べられるような小スペースがあり、お茶は自由に飲めるようになっています。ということで一休み・・・ |
高野山と言えばなんでか「ごまとうふ」。ここは地元の店らしいので、ここでちょっと買ってみました。 |
金剛峯寺、ありました。昨晩、この前を通っていたのですが、門が閉まっていて暗かったし、かなり地味に見えたので、金剛峯寺だとは思いませんでした(^^ゞ。 |
しかし、金剛峯寺の真ん前が大きな駐車場になっており、いかにも観光客を引きつけるような感じの場所になっていました。そうだったのかぁ・・・ |
拝観料、ここだけであれば\500で、関係箇所を回ると全部で\1500らしい。運営費を捻出するのも大変ですね。 ちょっと時間が無かったのと資料的なものがあるだけかと思ったので、このたぐいのところは回りませんでした。 あくまで外観の見たり写真を撮ったりで過ごしました。それでも場所が多いので今回はいっぱいいっぱいでした。 |
金剛峯寺を出発して各場所で般若真如を唱えて回っていました。これがなにかのツアーっぽいのですが、真相はわかりません。 |
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こんな感じです |
ここにも回ってきました |
【根本大塔】(こんぽんだいとう) |
夜、ライトアップされていたもの。「根本大塔」というらしいです。人が一緒に写っていてわかると思うのですが、扉などかなりでかいです。こびとになったような錯覚になります。 |
この「根本大塔」は幾度もの焼失を経験し、現在の姿は昭和12年に再建されたもの。高さ48.5mの朱塗りの大塔で、内陣に胎蔵界大日如来を本尊として金剛界四仏が安置され、16本の柱と壁に極彩色で描かれた諸尊と共に曼茶羅世界を表しているそうな。(ガイド抜粋)しかし、σ(^^)は今回中に入っていないのです。_| ̄|●i||i |
この近くに「名神社」といわれるものがあります。 |
「蓮池」今は蓮はないけど、昭和の頃までは美しい蓮(はす)が咲いていたという話しもある一方、本来は「金堂池」と呼ばれていたこともあるそうな。 |
「霊宝館」1200年の歴史の高野山に残る国宝、重文、県文化財や貴重な資料を保管し公開するところ。どうせ見ても判らないので行かなかったけど・・・ |
「常喜院」昼間見るとこんな感じ |
「御影堂(みえどう)」 |
さて、7時頃から散策し出して4時間ほど経ち、歩いた距離もたぶん6km以上にはなっていると思われる。 時間も11時。昼時となり、飯食って帰り支度をすることにした。 |
【昼飯】 |
一番高野山の繁華街?にある「南海食堂」ってというところで飯を食うことにした。 |
手短にまたもやカツ丼。味はいたって食堂です。(^^ゞ 結局この旅でのご当地食材は「マンボウ」と「鮫」くらいだった。(;´_`;) 時間がなかったからしょうがないっす。と、自分に言い聞かせながら高野山を後にするのであった。 |
「大門」:高さ25.1m。現在のものは宝永2年(1705年)に再建された。 本来はここからが始まりだったと思うのだが、反対の山から来たので、ここを最後に見て高野山を後にした。 |
鍋谷峠 |
帰り道、ナビで誘導された経路で走行。これがちょっと失敗。R480で途中までは結構きれいに幅広い道だったけど、途中からクルマがすれ違えないほど狭くなってしまう。 ナビって平面距離で考えて、高度の高低差しか考慮していないらしくいきなり峠を越えることになってしまった。 |
途中、こんな風景も。緑の山と空のコントラストが美しい。でも、暑いよ。(;´_`;) |
さすがに上の方に来ると眺めも(・∀・)イイ! |
峠付近では25℃。涼しいです。 ↑途中大阪側の道路脇にかなりの数のクルマが駐車していた。後でわかったことだけど、この下にバーベキューなどできる場所があるみたい。 |
鍋山峠を下りてきたところからもちょっと道に迷った。使っていたナビの地図がどうも中途半端に古いのか、走っていくとあるべきところに道がなかったり、途中で消えたりしてちょっとロスタイム! 14時9分。降りてきて道の駅「いずみ山合いの里」によって軽くおやつを食べる。 それから湾岸線と通ってレッドバロン(神戸東店)に立ち寄る。 バイク買って2.5ヶ月くらいなんですが、既に走行距離3000kmを超えたので、オイル交換をして帰ることにしました。 |
那智の滝と高野山 |